お引越ししました!

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ばら。バラ。薔薇。

バラの咲く季節がやって来ました。毎年毎年、この時期になるとウィーンにあるVolksgartenにはたくさんのバラが咲きます。

 
 

バラ、と言えばわたしの中でまず思い浮かぶのが“不思議の国のアリス”そして“星の王子様”。他にも、バラの出てくる物語、たくさんあります。ペローの“眠り姫”、アンデルセンの“イーダの花”“バラの花の精”、ボーモン夫人の“美女と野獣”、オペラだとリヒャルト・シュトラウスの“バラの騎士”、バレエ“バラの精”、などなど・・・詩にもよく使われていますね。カルメンにもバラの出て来るシーンがありましたね。咥える、と言う点でセーラー○ーンのタキシード仮面も出て来る時にバラを咥えていたような・・・。
歴史としては、紀元前、古代バビロニアから古代ギリシャ、古代ローマ、古代エジプト、、、とバラの歴史はとても古く、文献としては古代ギリシャの時代、ホロメスの詩にバラが登場しているようです。・・・見つけられなかったので、詳しく知っている方がいましたら是非教えてください・・・!同じく古代ギリシャの詩人サッフォーは、薔薇を『花々の女王』と称え『その香りは恋の吐息』と例えていました。
15世紀になると(百年戦争が終わった後の話だったような・・・)薔薇戦争、と言うものが起こったりしていましたね。あまり詳しくないのであれこれと書けませんが、確か、赤い薔薇と白い薔薇の紋章を持つ権力同士の争い・・・だったと記憶しています。

バラで詩、と言えば、わたしはまず初めに大手拓次が出てきます。“藍色の蟇”と言う作品の中に“まぼろしの薔薇”“薔薇の散策”“薔薇はゆれる”“夏の夜の薔薇”“薔薇のもののけ”“手を伸ばす薔薇”などなど・・・たくさん出てきます。彼は二千五百近い詩を書いているのですが、その中で八十篇近く薔薇の出て来る詩を書いています(詳しい数字は残念ながら忘れてしまいました。。。)

ひとひら、またひとひら、ふくらみかけるつぼみのばらのはな、
そのままに、ゆふべのこゑをにほはせるばらのかなしみ、
ただ、まぼろしのなかへながれてゆくわたしのしろばらの花よ、
おまへのまつしろいほほに、
わたしはさびしいこほろぎのなくのをききます。

これは“まぼろしの薔薇”の中の一篇ですが、彼の詩のなかに出て来る薔薇は、現実の薔薇というよりも、どこか幻想的な薔薇を連想します。彼の見えている先にあるものがなんであれ、薔薇、と言うものに置き換えられていって、先に見えるものを見ているのか、見えていたものから薔薇に置き換えられた事を見ているのか、はたまたそこには薔薇しかなかったから薔薇を見ているのか・・・読んでいくと、そんな気分にさせられて来ます。

  

そう言えば、世界最古の歌集“万葉集”にもありましたね。

道の辺の、茨のうれに、延ほ豆の、からまる君を、はかれか行かむ

と言う歌。道のほとりの茨(バラ)の先に豆の蔓がからみつくように、私にからみついて離れようとなさらない君と、別れて行かなくてはならないのか。と言う意味の歌です。なんとも、日本人的な・・・。笑

  
  

あと、バラの詩、と言えばリルケも有名ですね。“薔薇の内部”や“薔薇”と言う題名の二十四篇からなる詩もあります。ゲーテにも薔薇の詩はありますが、今回はリルケの あの詩 をご紹介します。たった二行しかない詩。でもそこに籠められたものは深く大きく、1925年10月27日、遺書を纏めた時に、この詩を書き、墓碑銘としてくれるよう友人に依頼した、とされている詩です。この詩に籠められた解釈は複雑で、この詩の為に論文を書いたドイツの学者さえ居た、と言われています。

Rose, oh reiner Wiederspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel Lidern.
  薔薇よ、ああ、きよらかなる矛盾よ、
  誰が夢にもあらぬ限りを あまたなる瞼の影に宿す、歓喜よ。  (星野慎一訳)

わたしはこれを読んだ時、これを墓碑銘にして欲しい、と言うリルケの意思を強く感じました。薔薇は昔も今も、人の心を魅了して止まない花です。・・・わたしの周りには バラってあんまり好きじゃないんだよね と言う人が数名居ますが・・・。薔薇の感じ方、捉え方、そして薔薇の用い方も人それぞれあって、五月はそんなことを思って薔薇の出て来るものをよく読んだような気がしています。

 

六月になりましたね。
これから夏本番。日焼けをしっかりカバーしながら(笑)夏を迎えたいものです。!