お引越ししました!

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萩。そして津和野。

萩と津和野へは、高校時代に出場した声楽コンクール(全国大会)で出会った友だちと。色々なハプニングもありつつの旅行でした。

千恵子さんに教えて貰ったお料理店(・・・名前は忘れてしまいましたが・・・)で、うに丼を食べたり、冷たいお抹茶を点てて貰ったり、歴史を感じる、というには些か語弊のある萩滞在でした。。とても暑かったので、もう少し涼しい時期にまた行きたい街です。

時間は早いけど、津和野に向けて出発しようか!となり。ロジャー・ノリントン指揮の「第九」をセットし。いざ津和野へ!
県道、国道とを走りながら、山を降りたり登ったり・・・良い具合に、曲が短調になってくると道も怪しく(?)薄暗くなって、長調になってくると平地に出たり太陽が顔を出したり・・・と、とてもマッチしていました。それに萩から津和野で丁度「第九」が終わります。あれにはちょっと驚きました。エンジンを切るのと同時に曲も終わって、車のなかで大はしゃぎ。

でも、そんな上手いことには世の中、なっていないようで、駐車場の場所を間違えてたのでまたエンジンを掛けなおす、というオチもあります・・・。笑

着いたのは午後19時ごろ。旅館へ荷物を置いたし!いざ!食事へ!・・・と思っていたら、あらやだ、扉に「本日は予約のお客さまのみ」の張り紙。ここは駄目だって、と次に行けば、あらま、ここも。もしかして津和野の食事所が全てこうなってるんじゃ・・・と心配になったので「予約してないんですけど、」と入ってみたら、大丈夫、OKでした。
ちゃんと食事も出来たし、旅館に帰って温泉に入ったし、で、すぐ寝ました。寝言は言ってなかったけど、むにゃむにゃ言ってたよ!、と朝一に言われ、いつか録音して聴いてみたいです。自分の寝言。

そして、朝一番に「森鴎外記念館」へ。
森鴎外。彼に魅力を感じてから色々と読んだり調べたりしていたのですが、経歴を見る度に驚かされます。軍医でもあり、文豪でもあり、今回わたしが東京滞在中に行った「東京国立博物館」の総長を務めたり、と本当に頭の良い人はどんな分野でも抜きんでるのだなあ、と感じます。

彼の作品のなかで横文字のものを多く見つけるのは、ドイツに留学した、ということもありますが、西周が親戚だったということ、上京したときに彼を頼って行ったこと、が大きいのではないかと感じました。
西周、と言えば、訳語を広めた人で有名ですね。・・・というか、わたしはその位しか知らなかったのですが・・・。哲学、科学、技術、芸術、肯定、否定、概念、本能、主観、化学などなど、普段使っている言葉が出来上がった経緯など、詳しく知りたいな、と思いました。
因みに、この中でわたしが(それまで使われていた言葉を)知っているもの、というと、「舎密(せいみ)」という言葉。明治時代まで使われていた「化学」という言葉です。元々はオランダ語「Chemie(化学)」を音写して江戸時代後期に造られました。「化学」が出て来ると「舎密」は応用化学として使われていたようですが、明治時代に入ると原子論やなんかが出て来て「化学」と統一されたようです。

言葉は変わりゆくもの。と言うことを更に実感しました。

そんなわけで西周の旧家を訪れたり。

津和野を見下ろしたり、山の方に行って見たり・・・。

お昼ご飯を食べてゆっくりしていたら、あらもうこんな時間、というわけでわたしは帰路に。友だちはこれから合宿なので、津和野駅でお別れ。

女一人。SLに乗って帰って行きました。