お引越ししました!

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楽しくなければ何をやっても無駄である

突然ですが、わたしは『にんじん』が嫌いです。
小さい頃、嫌いだった食べ物と言えば、洋食系のソース類、それに、にんじん、ピーマン、グリンピース云々。なにが美味しくてオムライスとかハンバーグとかグラタンとか食べるんだ、と本気で思っていました。ので、当時は焼き魚(特に太刀魚)に白米があれば良い。というような子供でした。今では洋食系のソースやその他諸々のお野菜は好物ですが、にんじんは相変わらず嫌いなままです。よく人から「自分が嫌いなものを他人が好きだったら嫌いな自分が間違ってるんじゃないか、とか、悔しい!って思うときってあるよね~」と言うことを聞きますが、にんじんの場合はまったくそんな感情は湧き起こって来ません。が*1、「HARUKI MURAKAMI」という作家に対してはいつもそう思います。「彼の作品を好きではないのは、わたしに原因があるのではないか」という自分に対しての敗北感がもの凄いです。
留学中、語学勉強の為に取りあえず買っておこうと思い立って、世界で愛されている村上さんの「アフターダーク」を手にしました。

アフターダーク (講談社文庫)

アフターダーク (講談社文庫)

 

もちろんドイツ語で。
読み始めは良かったのですが物語が少し進み始めたところで訳が分からなくなりました。村上風、というか、村上流、とでも言うようなあの独特なもやっとした文章が押し迫って来るあの感じ。楽しめて読めているかどうかと聞かれると決して「楽しく読んでます!」とは言えないあの感じ。

そこから もしかしたらドイツ語だからかもしれない!日本語で読んでみよう! と思い立ち日本語で読み進めていくと更にその感覚が広がり、結局、挫折しました。そしてそのことを友人たちに話すと「日本語で読めるのに勿体ない!」と言われ、楽しめないわたしが間違っているような気分を味わったことは今では良い思い出です。
それから何度か試みようを思い立ったのは、色々な方のレビューを読んだときに『ある限定された心情を持つ人に共感できるもの』と書かれているあの一文を見たからなのでしょう。*2きっとわたしにはこの「ある限定された心情」というものが欠落しており「ある限定された心情」を持つ環境に身を置いているわけではない、ということでもあるのでしょう。この「ある限定された心情」というものがどう言ったものなのか、わたしには想像もつきません。けれど、いつか村上さんの文章に「共感」出来る日が来ることを待ち望みながら、今は細々と村上さんの作品に触れていければ良いな、と思います。


*1:というかそもそも「にんじんが大好き!にんじんが嫌いな人なんて理解出来ない!」なんて人、一人も出会ったことはありませんけれども。。

*2:これは教えてgooの中で回答者の方が書かれていたものです。ちょっと詳しい文章は忘れてしまいました。