お引越ししました!

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さびしき小唄 // ジャン・ラオール


お前の心のなかには月の光が眠っている
やさしい月の光が、
悩みの多いこの世からのがれる為に
私はお前の明るさのなかで溺れ死にたい。


愛よ、
お前のやさしい両手の静けさのなかに
私の心と思いを揺り動かしておくれ。
その時、私は過去の苦痛を忘れるかもしれない。

こちらに帰って来てから、フランス語漬けの毎日を送っています。わたしが初めてフランス語に触れたのは、数年前のマスネ作曲のオペラ「マノン」でした。訳も分からず歌っていたので、マノンのことは分かったけれど、フランス語のことが分からず、、分かることもなんだか面倒で、あれからまったく手をつけていなかったのですが・・・今年のフランツ・リストと・・・今、勉強しているヘンリ・デュパルクで完璧に腹が据わったと言いますか・・・フランス語も綺麗に発音出来たら良いな、という軽い気持ちで初めてみました。
ただ、ドイツ語と違って、発音で苦戦することが多々あり、二回ほどレッスンで持っていったのですが、同じところを何度も注意され「次に間違えたらビールを奢ってもらうから!分かったわね?」とプレッシャーを与えられて・・・発音に悩まされています。

そんな中、フランス語のことについて色々と考えてみたのですが、ドイツ語と違って、「精神的な自己」があまり無い言語のような・・・そんな感じがしました。アルチュール・ランボーという詩人が、「誰かが私を考えている」といったことが色々と実証されたような気がしました。

「ジュ・パンス(Je pense=私は考える)」というのはまちがいだと。つまり、デカルトの「コギト(われ思う)」はウソで、本当は「オン・ム・パンス(On me pense)」なのだという。私が考えているのではなくて、「だれかが私を考えている」 あるいは 「だれかが私に考えている」 「だれかが私において考えている」 なのだと。

(巌谷国士 「シュルレアリスムとは何か」)

これを読んだことも影響していますが、フランス語は取り止めがない、母音ばかりがたくさん変化して、子音がたくさん書かれているのにも関わらず発音しない(切り捨ててしまう)、という「流動的」な言語なのかな、と思いました。
ドイツ語は母音がたくさんあるわけではなく(日本語のあ行とウムラウトの三つの合計八つ)、逆に子音の組み合わせが多く、その発音で単語を分けていく「事務的」な言語。・・・なので、フランス語→ドイツ語→日本語へと訳を進めるとどうも上手くいかない。どうしてもドイツ語を日本語に訳したようにしかならず、この期に及んで、言葉を知るなら文法も知らなければやはり駄目か・・・と時間のある時に勉強しています。まあ、発音の時点で躓いているので、道のりは険しいのですが・・・。
・・・日本語はですね、まあ、母国語ということもあってあまり考えることは無いのですが、フランス語に似ているような気がします、感覚的に。母音も子音も多いわけではなく、母音の違いで、同じ発音の単語を見分けてゆく(「気」や「木」。「雨」や「飴」など・・・)そういう点ではフランス語に近いものがあるなあ、と思う最近です。

で、フランス語を日本語訳するときにとても役に立っているのが、講談社文芸文庫から出ている、

堀口大學 「月下の一群

です!(今日の日記はこれを書きたかったんですが・・・前置きが長くなりましたね・・・苦笑)
今、勉強しているデュパルクの曲(上に書いてある「さびしき小唄」です)の訳も載っていて、なんだか色々と救われた気がしました。笑

フランス語、もう挫折気味ですが(苦笑)楽しんで感覚だけでも掴めたら良いな、と思います。・・・なんてことを教会のなかで考えたり・・・。

バイエルンに行ったときの日記・・・。
なかなか書けずにいますが、近々、写真と一緒に書こうと思います!!