お引越ししました!

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バイエルン

『車走ること一時間、スタルンベルヒに着きしは夕の五時なり。かちより往きてやうやう一日ほどの処なれど、はやアルペン山の近さを、唯何となく覚えて、このくもらはしき空の気色にも、胸開きて息せらる。車のあちこちと廻来し、丘陵の忽開けたる処に、ひろびろと見ゆるは湖水なり。』

と言うのは森鴎外が24歳のときに世に出した「うたかたの記」。2010年度、初秋の旅はここから始まりました。(もう四か月も前の話ですね。汗 書こう書こうとずるずる日にちを伸ばしていたら、あっという間に年が明けてしまいました。・・・覚えているか定かではありませんが、書いていこうと思います。)

「狂王」や「月王」と呼ばれていたルートヴィヒ二世が謎の溺死体として見つかった、シュタルンベルク湖(Starnberger see)。ここはミュンヘンから南郊外に位置する長細く大きな湖で、岸辺には閑静な館が立ち並びその向こうにはアルプスの山々が見えます。シュタルンベルク湖の対岸にある小さな町は、ポッセンホーフェン(Possenhofen)と言い、オーストリア皇后として名高いエリーザベトが16歳まで過ごした場所でもあります。互いを「鷲」と「鳩」で呼び合った二人が交わるのはこういう所なんですね、なんだか不思議な気分。。

湖の畔では、散歩をしている人がいたり、ジョギングしている人がいたり、、。

白樺とブナの散歩道を潜り抜けて、この場所に。ここには、亡くなったルートヴィヒ二世を追悼するボティーフ教会(Votivkirche)と水面には十字架が建ててあります。

そして、オーストリア皇后となったエリーザベトがポッセンホーフェンへ帰省したときに利用していた、というホテル(「ゴルフホテル・カイザリン・エリザベート」と言う名前のホテル)の一室も見せて頂くことが出来ました。ちょっと得した気分になってみたり。笑

そこから、エリーザベトがよく訪れていたという「アンデックス修道院」へ。

ここにはカルミナ・ブラーナで有名なドイツの作曲家、カール・オルフが眠っています。
そこから電車でことこと。オーバーアマガウ(Oberammergau)へとやって来ました。このアルプス山々に囲まれた小さな村は10年に一度「キリスト受難劇(Passionsspiel)」を村人総出で上演することで有名です。あと・・・家にフレスコ画が施してあるのも有名です。

ヘンゼルとグレーテル。や、

これは玄関の上に、ブレーメンの音楽隊。とか・・・

七匹の子ヤギ。とか・・・

赤ずきんちゃん。とか・・・あったりしました!

村にある教会に入ってみたりしました。田舎の教会はその村独特のセンスが出ていて、とても面白いです。

そして・・・、今年広島で行った新年のコンサートのチラシの写真はわたしが撮ったものでした!と言うネタばらし。笑

ここに一泊し、次の日にバスに30分程揺られ行って来ました!

ルートヴィヒ二世の建てたリンダーホーフ城(Schloss Linder)
彼の建てたお城は三つありますが、リンダーホーフ城は二番目に建てられたお城です。見た目はお城というよりも別荘に近く、見た目もどちらかと言うと地味な部類ですが、中は豪華絢爛! 彼が隅々まで拘っていたことが伺えました。初めて、新バロックとロココの様式に圧倒されながら見ました。

そして、「あ、ここにあったんだ!」と思わず思ってしまった人口鍾乳洞「グロッテ」 ルートヴィヒ二世が好きだったワーグナー(R.Wagner)と言えば必ずわたしの頭の中を過ぎるこの光景。間近で見れて感激しました。

そして、照明↑にも拘ったのでバイエルン初の「発電所」を兼ね備えているという、さすが王様。することが想像以上に大きく、色々なことを色々な意味で納得しました。笑

それからドイツバイエルン州最南端にあるミッテンヴァルド(Mittenwald)と言う小さな町にも行って来ました。

この町は中世、ヴェネチアからアウグスブルクやニュルンベルクへ商人が行き来するのに使い発展した町だそうです。他にも、17世紀、ヴァイオリンの製作者であるストラディバリから学んだマティアス・クロッツが、ヴァイオリン製作の技術を持ち込み、今でも弦楽器の製作工場や学校があります。

こうして、小さな町を二つほど渡り、堪能し、次の日、インスブルック(オーストリア)へ抜け、この旅に誘ってくれた友人とザルツブルクで別れ、わたしはそのままウィーンへと帰りました。最終日、雨だったことがとても残念でした。晴れていたらインスブルックでも少し観光したかったです・・・!

2011年の旅はこれが最後でした。うーん、自分の記憶力の無さに呆れますね。もう少し、歴史とか分かってくるともっと旅も楽しくなるんだろうな、と思うのですが、覚えられる速度を上げることも出来ず、一つ一つ、覚えていけたら良いな、と思った旅でした。